総括的評価としての「評定」は、なぜ必要なのか?

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学んでいる姿を形成的に評価することは、子供の主体的・対話的で深い学びを実現するためには必要です。しかし、単元が終わってからなど最終的にまとめて総括的に評価する評定の必要性は、どこにあるのでしょうか。

評定する段階になってから、「〇〇さんの学びは、単元を通してみるとこうなっていたんだよ。だから今度から、こうするといいよ。」と言われても、子供としては、実感がわきません。学びは、その時の子供の状況なので、その時に形成的評価がなされれば、自己の学びを調整することもできます。しかし、最後にまとめて評定されても、その時の学びの状況を振り返ることさえできず、また、改善しようにも時間がないなどの理由から、子供自身では、どうにもなりません。

単元の冒頭に主体的に学習に取り組む態度の形成的評価が「C」となることがあります。しかし、それを見取った指導者はその後の指導の中でていねいに寄り添って対話し(指導の個別化)、その子供に合った課題を設定したり(学習の個性化)、いっしょに課題解決を活動したり(指導の個別化)します。これにより奏功してその子供がより主体的に学ぶようになったなら、単元冒頭の評価「C」は、どうでもいい程度のものになります。

評定としての総括的評価もまた、子供のよりよい学び作りのために存在していると言えます。個別最適な学びを考える上では、総括的評価「C」のうち何%かは「先生も頑張ったんだけど、最終的には十分な指導ができなくって、1学期は、とりあえずごめんなさい。だけど、2学期は、何とかBにできるようもっと応援するからね。」というメッセージになるからです。

ヒントは、週2回(月・金)アップロードされます。(令和4年4月1日現在)

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