子供から見た楽しさを追う機能的特性
体育の指導案に「運動の特性」を記載するのは、どうしてでしょうか。
体育の学習を構想する上では、取り上げる運動が子供から見てどのような魅力があるのかを一つの手がかりにしていきます。子供は、何が楽しくて、何がしたくて、その運動に取り組もうとしているのかを考えるということです。
そのためには、その運動特有の性質や魅力をである「機能的特性」を捉えることが大切になります。ただし、ここでいう「機能的特性」とは、大人も含めた誰しもが感じる「一般的特性」という項目の中で押さえたのちに、それを「子供の立場から見た特性」として捉え直す作業を位置付けることを意味しています。子供がその運動を行うこと自体にどのような面白さを求めるかを把握することが授業づくりには欠かせないからです。運動することが楽しくない中で、技能が身に付いたり体力が向上したりすることに、意味がないからです。
例えば、1年生と6年生では、跳び箱にどのような魅力を感じているかが違うので、当然、指導の内容も変わってきます。発達的特性から1年生は、どの跳び箱をどうやってクリアするかを遊びながら楽しんでいるのに対して、6年生は、どの技をどのように挑んでいくべきかを学ぼうとします。「子供の立場から見た特性」を抜きにして授業を計画してしまうと、「1年生だから低い跳び箱で、6年生なら高い跳び箱で…」とだけ考えてしまうようになり、子供に寄り添った指導の手立てが生まれてきません。
体育科の学習においては、「構造的特性」や「効果的特性」を踏まえつつ、運動を行う者の欲求を充足する機能、つまり、運動を通して運動のもつ魅力や楽しさである「機能的特性」を味わえるようにすることを重視して進めるようにします。指導者が「機能的特性」を理解することで、子供と運動との関係をもとに、各種の運動の技能を高めて課題に挑戦したり、勝敗を競い合ったりすることから得られる運動の楽しさを体感できるような授業を計画・実践することができるのです。
体育における様々な運動種目が、体力をつけたり社会性を育てたりする手段としてしか見ることができない指導者が、ただ、形式に則って学習指導案上で運動の特性を語ったところで、よりよい授業には決して結びつきません。
「機能的特性」という運動の特性の捉え方は、授業をつくる指導者自身が、運動をどのような文化として捉えてきたかを真摯に問い直してみるべきであることを示唆しているのです。