「教える」はできないが「伝える」ならば誰にでもできる?
算数で、なかなか計算ができない子供に対して、すでに問題を解き終わっている友達が教えてあげている姿をよく見かけます。
先生の口調をまねするようにして優しく親切に教えている姿は、たいへん微笑ましく感じます。解決のためのあらゆるヒントを繰り出して、最後まで付き合ってあげます。
これに倣って体育でも教えっこすることができないわけではありませんが、ゆっくり計算しても答えに行きつく割り算とは違って、ゆっくりやろうとしても開脚前転ができるようにはなりません。スピードをどう生み出すかが要点になるからです。
開脚前転ができない子供が友達に「教える」のは、いくら技のポイントカードが手元にあっても無理です。子供たちが技のポイントカードを使ってやっていることは、「伝える」だけです。
友達の試技を見て「足が、ちょっと曲がっていたよ」というのは、見たまんまの事実を試技者本人に「伝える」だけで「教える」ことにはなっていません。「足が曲がっていたから、カードにあるようにこうしたらいいよ。」というのも、技術ポイントを「伝える」だけです。
開脚前転ができる子供なら技を行うときの体の使い方や感じを分かっているので、それを「教える」行動に出せます。しかし、残念ながらそのような個人のコツを言葉にはできても、相手がそのコツを体で感じることができないため「教える」には至らず、やはり「伝える」だけに留まります。
子供自身が「教える」と思っていてもかまいませんが、学習指導要領に「伝える」しか記載がないのは、このような理由があるからです。