「ランドセルは体の一部」ということに気付かないときの空間認知
中途半端に空いた教室の扉。その隙間が「このまま何もせず進めるか、少し肩をななめに引きながらでないと通れないか判断に迷う。」ぐらいのときがあります。
扉をもっと開けることはしない条件でのこの研究は、意外な結果を生んでいます。自分の体の幅の1.3倍よりも広ければ「何もせず進む」行動をとり、1.3倍よりも狭い場合に「少し肩を引きながら進む」行動をとる人が多いという結果です。
この1.3倍という数字は、蛙は自分の頭部の幅の1.3倍以上隙間がないとその方向に跳び出すことがないという習性と、数字上は一致しています。しかし、蛙は跳び運動遊びをしません。つまり、跳ぶことの繰り返しによって蛙が1.3を得たのではなく、「1.3倍以下のときは、通れないかもしれない」という本能があると考えられています。
一方ヒトは、運動を繰り返すことによって空間認知の能力が身に付いていきますが、上記の研究結果から考えると、おそらく「肩幅の1.3倍より狭く見えるから、通れない」という本能は、蛙と同じようにもともと備わっていると考えられています。ただ、その本能を引き出す能力が不十分なため、「通れると思ったのに、挟まっちゃった」という現象を引き起こしているのです。 もちろん、小数を学習していない場合は1.3倍という概念も備わっていないのですが、なんとなく感覚的に「あ、あの幅は、アウトだな。」と察知できるのです。
電柱と壁の間を「何もしないで通れそう」と認識しても、想像より狭かったと分かったとき「通れるか通れないか」ドキドキしながらも進みますが、その認知に失敗すると電柱と壁の間に挟まってしまいます。たとえ、「肩を引いたら通れそうだ」と認識しても、悲しいかな、その時にランドセルを背負っていることが認知されていないと、「ランドセルが引っかかって通れない」という結果を招いてしまうのです。子供にとっては、それもまた楽し、です。