工夫ができないなんて、それは「二級品のおもちゃ」
おもちゃは、遊びに誘ってくれる大切な仕掛けであり、遊びを実現・促進するためのツールでもあります。
例えば、ごっこ遊びで主人公になるためのストーリーには、武器や敵の要塞が必要になるため、身の回りの様々な環境を何かに見立てて遊びます。そこらで見付けた木の枝でさえ強力な武器になるので、それを持って歩くことで、自分がヒーローになれるのです。遊びの工夫の原点です。
積み木は、いかにそれを積み重ねていくかというスキルを磨く遊びですが、スキルが身に付いてくるとさらに遊びが面白くなって、「こんな家を作ってみたい」というように、自分が主人公になったような感覚を味わうことができます。そうした経験も積み木というツールがなければできないことですが、逆にツールが子供に遊びを誘発しているわけです。
ですから、おもちゃとは、子供の身体や頭と遊びをつなぐツールの一つとも言えます。 子供が持っている欲求の実現度の高さは、おもちゃによって異なります。そこによいおもちゃ、悪いおもちゃという評価が分かれる余地があります。
まったく工夫をしなければできないけれど、少し工夫をすればできるようになるという、適度な難易度があるおもちゃは、子供への誘発度が高いおもちゃだと言えます。逆に、少し遊んだだけで飽きてしまったり、自分でそれ以上の工夫ができなかったりするおもちゃは、二級品です。
最近は、「子供の成長によくない」と大人が感じた環境が排除されたため、身近な物を何かに見立てる能力が発揮されず、できあいのツールでしか遊べない子供が増えました。子供の思考力・判断力・表現力等を身に付けるチャンスを、心配性の大人たちが、ここでも奪っているのです。