遊んでいる子供は、スーパースターだ
遊びは、常に挑戦に満ちあふれています。
同じことを何度も何度も繰り返しているように見えても、1回1回、違った感じがしているはずです。そのため、同じ「できる」状況であっても、「できないかも…」という多少の危険と隣り合わせです。だからこそ、おもしろくて、いつまでもやめられない心理状態となります。
遊びは、がむしゃらにやっているようで、実は、そうでもありません。
「できる」こともしくは「できる」ことに負荷を自ら加えることで挑戦と危険の狭間を楽しんでいます。一方、「できるような気がしない」くらい「できない」ことは、やらないと決めています。
こうして遊びを繰り返していくと、スーパースターのような動きをすることもあれば、とんでもない動きをすることもあります。大人の初心者は「子供扱い」されますが、子供が「小さな大人扱い」されてはならないのは、そのためです。
子供が遊ぶときは、「できる」ときと「できない」ときをわざと試して楽しんでいるのかもしれません。
運動するときには、必ず「できる」人と「できない」人に分かれます。「できない」人は、「できない」ようなやり方でやっています。無理に力が入ったり、あれやこれやと考えすぎるくらい考えたりしながらやっているからです。「できない」子供のほうが、「できる」子供より難しいやり方でやっている状況になってしまっています。
後転ができない子供へ「転がる前から耳の横に手を着く準備をさせている」がその代表例です。これでは自由に手が使えなくなるので、回転のスピードを付けようにも、やりにくいわけです。
大人から見た運動の理想の型に子供の動きをはめ込もうとして、理想の型との比較で動きの欠点を指摘して、それが指導といえるはずがありません。鋳型化しようとすることは、子供の学びになりません。