運動遊びとは、遊びの性格をもった運動である
ブレーキの「遊び」は、けっしてブレーキを使って遊ぶことではありません。
ブレーキペダルの踏み始めと実際にブレーキが利き出す間にあるちょっとした隙間のことです。この隙間がないと、ブレーキペダル少しでも踏んだ瞬間に車が止まろうとするので、常に緊張が付きまといます。つまり、安心して遊んでなんかいられない気持になるわけです。
運動遊びは、できるかどうかハラハラドキドキしながら間と動きを楽しむ行為です。
たとえば、ボールを投げて的に当てようとするとき、「当たるか、どうか」という間に、「当たった!」「当たらなかった!」という心の動きが生じて夢中になるところが魅力なのです。
遊びの分類論で知られるロジェ・カイヨワが、著書「遊びと人間」の中で述べている遊びの一つ「アゴーン」とは、このような「できるか、できないか」「勝つか、負けるか」の間の動きに夢中になっている状態のことでした。
しかし、「運動遊び」において、「できなかったり」「負けたり」したときに、友達や先生から冷笑されたり罵られたりでもされようものなら、これは、もう遊んでなどいられません。「できるか、できないか」に夢中になれるためには、たとえそれができなくてもたいしたことではないということが大前提です。その了解なくして本気で遊ぶことはできず、「運動遊び」が成立しません。
「どうすればできるか」「どうすれば勝てるか」ばかり先行して教えると、「運動」にはなりますが「運動遊び」にはならないのです。
遊びの性格を持った運動を指導する自覚が、教師には求められます。