動きを獲得するとき、ひとまとまりのメロディーとして流れる

こども,子供のからだ,子供の学び思考力・判断力・表現力等,技能,運動遊び

跳び箱を跳ぶ場面では、「助走の開始」から「安全な着地」まである程度の時間が必要です。このほんの5秒とかからないほどの短い時間で一連の流れをスムーズに行うことが、跳び箱を跳ぶという全体の動きになります。

ならば、そのコツをつかむために助走、踏切、着手、着地などの局面をそれぞれ切り取って、個別具体的な練習をすればいいでしょうか? プラモデルのように、それぞれパーツを組み合わせていけば完成するのと同じということでしょうか?

局面ごとに練習することによって習得した動きの感じ、それをつなげるようにして一連の流れで運動すれば、跳び箱を跳ぶ動きが完成するという仮説が成り立つように思えますが、そうはいきません。

細分化された個別の動きに必要な動きの感じを音符♪に例えると、それらにリズムやテンポ、強弱を加えることで初めて一つのメロディーになっていきます。つまり、個別的な動きの感じを身に付けるだけでは、五線譜に音符を書き込むにすぎません。一つ一つの「音」でしかありません。

一方、一連の流れで運動するというのは、その楽譜をもとに実際に奏でることになります。そうすることで、このメロディーの楽しさが生まれるのです。

だからこそ、動きの感じが芽生えたあとは、個別的な細かいことを考えずにやってみることが大切になります。

「助走は勢いを…、踏切は両脚で…、手は遠くに…」などと頭の中で復唱していては、メロディーはいつまでも流れてきません。逆に、メロディーが流れているときは、個別的なコツを思い浮かべられません。

一つ一つの音符をすべて意識しながらではピアノを弾けないのと同じことです。 人差し指で音符を一つずつ押しているだけでは、心地よい音楽にはなりません。メロディーが流れるように、動きも「ひとまとまり」なのです。

ヒントは、週2回(月・金)アップロードされます。(令和4年4月1日現在)

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