思考する必然性があったからこそ「透明ランナー」は生まれた
昔の男の子の外遊びと言えば野球でした。家の手伝いから逃れるには、外で遊ぶしかない状況下で毎日を過ごしていました。
しかし、そんな昔でさえ2チームで18人もの人数を一同に集めて野球ができることはめったにありませんでした。そこに、少人数でも遊べる規則の工夫を編み出す必然性が生まれたのです。
人数が少ないことは守備側にとって圧倒的に不利ですから、勝つのか負けるのかが分からないというゲームの醍醐味は半減してしまいます。そこで生まれたのが三角ベースでした。
狭いエリアに限定することによりゲームをより面白くしたのです。人数が極端に少なければ、自分たちが乗ってきた自転車にセカンドを守らせて自転車に打球が当たったらアウトにというルールを作り出しました。
一方、攻撃側は、ランナーを透明にしました。バッターがヒットを打ってランナーとなれば、次のバッターが足らなくなりゲームは進みません。そこで、ランナーを透明人間にしておき、打った時に透明ランナーが自動的に走っているつもりでゲームを円滑に進行させたのです。
こうして少なくとも2名が集まれば野球ができるという画期的な状況が生み出されました。
スポーツとしての野球にとらわれていては、おそらくこうした工夫が発生することはなかったかもしれません。しかし、そこが子供たちの柔軟なアイデアの凄いところです。大人では、とても太刀打ちできません。
なんとしてでも野球で遊びたいという熱意と執念が、野球という伝統を守りつつも限られた条件の下でできるベースボール型ゲームを生み出そうと思考・判断・表現した結果と言えます。