今さら、ぎこちなく動いてみることは、できません
利き手と反対の手で自分の名前を漢字で書いてみたことは、ありますか? わざわざやる必要が無いので普段はほとんど経験できない動きですが、手元にペンがあったら、利き手でないほうの手で書いてみましょう。
どうでしょうか? 視覚情報によって、どんな漢字を書くのかそのゴールは分かっていても、利き手ではないほうで書くときは、思ったように指が動かないのでイライラしますね。動かし方が分からないため「ぎこちない」動きにならざるを得ないからです。
このときに「親指を、ペンに軽く当てる」「中指と人差し指、親指を連動させる」など、書くための動きのポイントをあれこれ伝えられても無理です。ポイントの文章を頭で理解することはできても、そのようには動けないのが現実です。
利き手でないほうの手で書くとき、まだ習得できていない技能を身に付けようとすることになります。しかし、やってみよう」とトライしてみないことには、どれほど動くことができないのかが分かりません。この学びの段階では、いくら技能ポイントを示されたところで、どのタイミングで、どのように、どのくらいの力をどの方向に入れるのかなどが全く分からないので、動くことはできないのです。
つまり、動きのポイントは、言葉では説明しきれないということです。
一方、動きをすでに習得している利き手によって「ぎこちない動き」を再現すること、これも困難です。どのくらい難しいのかは、利き手で「ぎこちない動き」をしながら書いてみると分かります。
人は、一度動きを習得してしまうと、ぎこちなかった頃の状態に遡って動くことはできなくなるのです。