なぜ、シャトルランでもニコニコしながら走っているのか
スポーツテスト(体力・運動能力調査)の1つの種目である20mシャトルランは、学習指導要領にその記載がありません。
学習指導要領解説では「体つくり運動」の中に「一定の速さでのかけ足(1・2年生、3・4年生)」があります。また、5・6年生の例示にも、「無理のない速さで」「一定の時間続けて」持久走をすること、とあります。しかし、「一定の速さ」「無理のない速さ」という条件をシャトルランではクリアできないので、体育の学習内容として扱うのは好ましいとは言えません。
「一定の速さ」「無理のない速さ」で走れないようにしているのは、流れてくる電子音の仕業です。走っては止まり、また走っては止まりを繰り返すシャトルラン。折り返しがあるので走っているときのリズムがいちいち狂います。その上、はじめは心地よく聞こえていた電子音は、次第にテンポが速くなっていきます。体育で取り上げる運動として不適切である理由は、このあたりにあります。
5・6年生の場合は、電子音に合わせて回数を積み重ねていくうちに「苦しい~。助けて~。もう、ダメ~。」と表情がだんだん歪んでくるので、「あ、そろそろこの子は、OUTだな。」とある程度の予測ができます。彼らは、自己の記録に挑んでいるため必死の形相で走り続けようとしているのです。しかし、その一方、1・2年生のシャトルランは、いつでもニコニコ走っているので、その終わりが突然にやってきます。
1・2年生は、シャトルランを「遊び」の延長と捉えることができる発達特性をもっているので、自分の記録達成よりも友達といっしょに走ることや、電子音に合わせることにおもしろさを感じながら走っています。「もう、ダメ~。」ではなく「もう、楽しんだから、このへんでや~めた。」という感じです。走ることそれ自体よりも別の条件による充足感や満足感があり、結果的に「シャトルランを走って、おもしろかった。」ことを実感します。
この現象は、1・2年生が鬼遊びをやっているとき、ずっと走りっぱなしでも疲れないことと同じことです。いっしょに鬼遊びをやっている大人は、そこまで遊びに徹し切れないので、ダッシュが速くても降参するしかありません。1・2年生の体育は、彼らの発達特性に基づいて「遊び」で構成していくべきであることを、ニコニコのシャトルランは示唆しているのです。