できる/できないの狭間に揺れることが楽しい
ボール運動系では「相手チームと勝敗を競い合うこと」を楽しみ、器械運動系では「技に挑戦して、それを達成すること」を楽しみ、水泳運動系では「水に浮くことを克服すること」を楽しみ、表現運動系では「自分が変身すること」を楽しみます。それぞれの運動の特性があり、それに触れることで得られる楽しさです。
しかし、これらの楽しさは、運動したからといってすぐに感じられるものばかりではありません。相手チームがいれば、いつでも勝てるという保証はありません。技に挑戦したり克服したりしようにも、できるかどうかは未確定です。踊る動きの変化やくずしの面白さを感じられないことも少なくありません。
運動学習の振り返りにおいて、「今日は、5対3で勝ったから楽しかった。」「開脚跳びで4段が跳べて楽しかった。」というのでは、学習になりません。裏を返せば、「チームが負けたので今日は楽しくなかったです。」「何回もやったけど、4段を跳べなかったので、つまらなかったです。」という振り返りになってしまうからです。
確かに、負ければ面白くないし、できなければつまらないというのは心情的には理解できるので、「次の時間には…」と期待を持てるように励ますことはあります。しかし、それは、「運動した結果が思わしくなかったために楽しくなかった」だけで「運動することが楽しくなかった」わけではないので、そこは、明確に区別されるべきです。
つまり、勝ったから楽しい、跳べたから楽しいとうことではなく、「勝つかな、負けるかな。」「跳べるかな、跳べないかな。」という「できる/できない」の狭間の中で運動することの面白さに触れていくことで、授業の最後に結果的にはそれらの経験の総体として「楽しかった。」と感じられるように授業づくりをしていきたいわけです。
この狭間の時間に子供たちは運動に夢中になり、課題を見いだし、没頭していきますが、同じような活動の繰り返しがそのうち飽和状態を迎え、均衡も崩れてしまうことによって、それまでの行動を変化させようと試みるようになります。このようにして運動の面白さに触れ粘り強く探求するうちに子供たちは自らの学習に調整を加えながら展開し、楽しさを享受して主体的に取り組む態度を身に付けていきます。