廊下を走りたくなる気持ちは、コレだった
学校の子供たちは、いつも急いでいます。クラスで列をなして廊下を移動するときを除いては、いつも走っています。そこで、子供同士でも“廊下警察”かと思うほどの取り締まりをする自治が働いて、「あ~。廊下、走った~。いけないんだ~。やり直し~。」という声が響くのです。
そもそも廊下を走れば、滑って転んだり出会い頭に友達をぶつかってしまったりすることがあることが明白です。そのため、百数十年の昔から「廊下は、歩くもの」と指導されています。しかし、いつの時代になっても一向によくなる気配さえ見えません。どれほど教育制度が整備されても、子供は常に、廊下を走りたい衝動に駆られているからです。「急いでいるから」などといった理由で子供が走ることもあるでしょうが、子供は、「廊下を走りたい」から走るのです。それは、校庭を走ることで得られる爽快感とは別の理由です。
建築物としての廊下は、走ることを想定して造られていないので、当然けがのリスクがあります。走る方がいけないのですが、それを知っていてもなお、走るのは、「転ぶかもしれない」「誰かとぶつかるかもしれない」リスクを、ハラハラする面白さに捉え直して楽しみながら走っているのでしょう。人としての本能と廊下の構造が「走ろう!」と誘っているに違いありません。
環境建築家の仙田満氏は、「幅が2mなら、隅切り半径2.6mあれば、衝突しない」という実験結果を報告しています。文部科学省も、「廊下の曲がり角を隅切りしたり、鏡を設置したりすること等も有効」と言っているくらいです。
走ってもいいような廊下をつくることは、教育的ではないのかもしれませんが、子供の立場に立つと、万一、走ってしまってもより安全な構造には、その価値が大いにあると言えます。授業でも、「あれはだめ、これはやるな!」という規制がなく、「あれをやってみたい、これならできそうだ」と言える場づくりが大事ということです。