友達の良い動きに啓発された見習い
学校が主に集団での教育を施すのとは対照的に、修行中の弟子は、親方と1対1の関係の中で育てられる個別指導という形で学びます。
そのため、先生の話を「聞いて習う」という学校の教育方法とは逆で、親方の動きを「見て習う」ことから弟子たちの全生活が始まります。
大工の棟梁になるために、カンナの削り方は習得すべき基本的能力の一つです。
親方から「いいか。よく見ておけよ。ここでこうやって手に力を入れてだな~、足を踏ん張ってグイっと引くんだ。」「ほーれ、きれいに削れるだろ~。分かったか。」というような優しく丁寧な説明がなされることは、ありません。「見て習う」のですから、弟子は、見ながら親方の技を盗むだけです。
親方も「どのように手の力を入れるのか」「どの程度の力で足を踏ん張ったらいいのか」「どのタイミングで始めるのか」「どのくらいの力加減で削るのか」を言葉で伝え切れないことを知っているので、教えられません。弟子が説明を求めようとしても、「ええい、うるせいっ! とっとと、やれっ!」と叱られるだけです。
動きを見て学ぶというときには、言葉で説明できないことが多いのです。それは、あくまでも個人のコツだからで、ある動きのコツを他人と同じ言葉で納得できるものではないからです。
動きは、繰り返しやってみることから始まり、「こうしたら、たぶんこうなるだろう。」というものが次第に見えてきて、「やっていたら、だんだんコツが分かってきた。」と、自分の体で合点がいくものです。
友達のよい動きに啓発された場合も「見て習う」 学びの結果と言えます。