風姿花伝に見る「時分の花」
室町初期の能役者である世阿弥(1363年? – 1443年)は、その著書『風姿花伝』の中で、ある一定の年齢に達しなければ練習の効果がないということ、人生のある時期を逃すと一生身に付けることができないことがあると、説いています。
原文 | 口語訳 |
この芸において、大方七歳をもて初めとす。このころの能の稽古、かならずその者しぜんといたすことに、得たる風体あるべし。舞・はたらきの間、音曲、もしは、怒れることなどにてもあれ、ふとしいださんかかりを、うちまかせて心のままにせさすべし。さのみに、善き悪しきとは、教ふべからず。あまりにいたく諫むれば、童は気を失いて、能ものぐさくなりたちぬれば、やがて能はとまるなり。ただ、音曲・はたらき・舞などならではせさすべからず。さのみのものまねはたといすべくとも、教ふまじきなり。 | この芸は、だいたい七歳から始める。この時期の能の稽古は、必ずその子が自然と行う素振りに身に付いた良さがある。舞・働きの間、音曲、もしくは怒りの場面などでも、ふとやり出すような風情をするのに任せて、やりたいようにさせるべきである。それだけでよく、良い、悪いなどと教えてはならない。あまりに強く教え込もうとすると子供はやる気を失って能に嫌気がさしてしまい能への道は終わってしまう。ただ、音曲・働き・舞など以外は、させてはならない。この時期の物まねは、例えしようとしても教えてはならない。 |
世阿弥は、親は子供の自発的な動きに方向性だけを与え、導くのが良いという考え方を示しています。「あまりにも子供を縛ってしまうと、大人のコピーを作るだけとなり、子供は意欲を失い、そこで学びは終わってしまう。」という趣旨の世阿弥のことばには含蓄がありますね。7歳前後の子供の発達的特性を捉えた指導の在り方が明確です。特に1・2年生の運動遊びの指導の大きなヒントになります。
世阿弥は、12~13歳ごろの子供について最大の称賛をしていますが、「その美しい姿はその時だけの『時分の花』であり、本当の花ではないのだから、どんなにその時が良いからといって、生涯のことがそこで決まるわけではない。だから、引き続き、しっかり稽古に励みなさい。」と警鐘も鳴らしています。