跳び箱を跳べない子供にとってのICT機器活用の意味
動きを連続して組み合わせるためには、あとに続く動きがどんな感じで動くのかが分かっていなければなりません。
もし、その次に続く動き方が過去の運動経験から「たぶんだけど、こんな感じなんだろうな」と呼び起こすことができなければ、それは未知の世界の動き方となり、当然できません。
跳び箱を跳べない子供は、踏み切ったあとにどんな動きの感じがするのかよく分かりません。跳び箱の図の多くは、横からのアングルばかりです。その図を見ると踏み切ったあと着手までの間に体が斜めになって空中に浮いているように見えます。
跳んだ経験がない子供はこれだけで「え~、こんなのムリ~」と感じてしまいます。跳んだことがない彼らには、どんな感じがするのか分からないからです。
跳び箱をやろうとしない子供を捕まえて「やりもしないうちから怖いって、何なのっ?」と思うことがありますが、ぶつかったり落ちたりする怖さとは違って、どんな感じがするか分からない怖さもあるのです。
そんな子供に、落ちても痛くないようにマットを敷いて技能ポイントを教えても、どのように身体を動かせばよいかという悩みを指導者が理解していない限り、けっして生きた指導にはなりません。
跳び箱が跳べる子供は、「なんか、やったことある」という経験をもとに、ビデオ映像や連続図などに自分の動きの感じを重ね合わせて見ることができます。
しかし、跳び箱を跳べない子供は、跳ぶための「こんな感じなんだろうな~」をもっていないので、いくら映像や図でテクニカル・ポイントの説明を受けても動き方の感じにつながっていきません。すなわち、跳べない子供の意識に働きかけた指導には、まったくなっていないのです。
こうして考えると、跳び箱を跳べない子供にとってICT機器を活用して課題を見付けるような学びは、動きのポイントまでは理解できるものの、自分の動きと照らし合わせたり、できばえを確認したりすることはできないと言えます。