命がけなり 遊ぶ子供ら
「なすことの 一つ一つが楽しくて 命がけなり 遊ぶ子供ら」(楢崎通元老師)
小さな子供たちは、何をやっても楽しくて、しかも常に真剣そのもの。それがまるで命がけに見えたのでしょう。
「あんなくだらないことが、何で、おもしろいんだろう」と子供の「なすこと」を理解できない中、「なすこと」すべてが楽しそうに見えた大人が、「なすこと」を勝手に「遊び」と名付けているだけです。そのため「遊び」にはマイナスイメージが付きまといます。しかし、当の子供自身は「なすこと」を楽しんでいるだけで、「遊び」を意識してはいません。
「遊び」は、人間を形成する上で大事な手段と考えられます。なぜならば「遊び」は、一人一人が自分の内部に持っている何かを、自由に外部に向かって発散させる行動だからです。誰にも強制されることもなく、いやだったらやらなくてもいい「遊び」は、子供にとって純粋な表現そのものと言えます。
「遊び」は、また、「こんなふうになりたい」とそれ自体に目的があるからやっているわけではありません。遊び」をやっていることそのものが楽しいのです。仮に「遊び」の結果として「あ~、楽しかった」という満足感が得られたとしても、初めからそれを得るためにやっているわけではありません。
大人は、「リフレッシュしたいから」などと目的をもって遊びますが、子供は、世の中のいろいろなことと自分を触れ合わせながら「やりたいからやっている」だけです。
そんな子供の「遊び」の特性がある中、遊びの性格をもった運動を学習することが1・2年生の「運動遊び」に求められるのです。子供たちは、大人のようにリフレッシュするために「遊び」をしているのではないのです。