レパートリーを増やして運動を楽しむ
ロール・キャベツを1回作ったくらいでは、「レパートリーが増えた。」とは言いにくいですね。

レシピをちらちら見ながらでも、「次は、こうやるんだったな。」「だいたいこんな感じだ。OK!」と先読みをしたりできばえを自己評価したりしながら進められるようになると「レパートリーが増えたな~。」という感じになります。
レシピを見ずにいつでもできるレベルにまで至らなくても、ロール・キャベツをつくる技能は自分のものとなり、それjは、じぶんのレパートリーとなります。
さて、ロール・キャベツはできるようになりましたが、毎日毎晩ロール・キャベツばかり食べていては栄養が偏るだけでなく飽きるのでので、ブリ大根などのほかの料理に挑戦しようとします。
このような料理への向上心を学習と捉えたとき、二つの学習過程が考えられます。
一つは、ロール・キャベツを完璧に仕上げるまではブリ大根に挑戦しないケース、もう一つはある程度ロール・キャベツを作れる目処が立ったらブリ大根もやってみようというケースです。
前者は、1つのことを追究し切らないと納得できず進めないか、2つのレシピがごちゃごちゃすると混乱するタイプ、後者は、「だいたいこのくらいで次に進もう」とするタイプです。
子供の学びとしては、どちらが正解ということにはなりません。
友達の行い方を取り入れてレパートリーを増やせるよう、授業の中で見合う時間を指導者がせっかく設定しても、子供の学びは必ずしもその方向に進みません。
1時間ず~っと同じ行い方に挑戦し続けているだけで、レパートリーが増えないように見える子供もいます。しかし、そこには「やってみよう」とする何かがあるはずです。
一方で、自分の行い方に行き詰まり感があると、友達の行い方から刺激を受けて「やってみよう」となる子供もいます。これは、指導者の思惑通りに学びを進めている子供と言えます。
しかし、子供の学びには、そうもいかない彼らなりの事情があることを忘れてはなりません。