見方・考え方を働かせて水たまりを認知する
雨上がりの校庭で子供たちが楽しみにしていることは、水たまりで遊ぶことです。中に入ってバチャバチャ足を動かして遊ぶのは、「この水たまりは、深くないから、やっても平気」と認知しているからです。
長靴のまま入って摺り足で歩くのは、「長靴だから足が濡れない」と認知されているうえに「靴底からズルズルする感じを味わえることが面白い」ことの面白さを分かっているからです。このように身体で感じることと環境との相互作用は、遊びの中に常に存在しています。
もし、水たまりが深いと分かっている場合には、たとえ長靴を履いていても躊躇します。たまに、運動靴のまんま水たまりに入って楽しんでいる子供がいますが、それは「足が濡れちゃっても、そのうち乾くから関係ない」と思ってのことです。足が濡れることを嫌がらない子供にのみ、この行動が見られます。足が濡れることに嫌悪感を抱いている子供は、水たまりには近付かないのです。
言い換えると、これまでの経験と身体を介して「周りの環境が、その遊びを誘発してくる」ということになります。ゴールがあったらシュートを狙ってみたくなったり、友達のやっている遊びをまねしてみたくなったりするのは、そのような環境に誘発された結果、遊びが生じていると考えられます。
自分の経験と身体を介して周囲の環境と相互に関連し合いながら生活することは、子供に限ったことではありません。自動車で右折しようとするとき「今、この辺だから、あそこまで行ったらブレーキをちょっとかけて、ハンドルを少しずつ右に切ったら、右に傾くようにしよう」などといちいち考えません。それは、何度も自転車で右折する経験により「カーブに差し掛かった時の行動」が「うまくいった」達成感を積み重ねて、「無意識のうちに右折できる動き」を習得したからです。
ゴールがあっても狙わなかったり、友達が楽しそうに遊んでいてもまねしてみようと感じなかったりするのは、それまでに環境から受けるはずのドキドキ感やワクワク感の経験が少ないからです。環境と身体との関係性が弱いうちは、遊びが発生することはなく、主体的な学びにもつながりません。