潜在的カリキュラムが生む男女差別のプレッシャー
体力・運動能力調査の結果を見ると、性差があることに気付きます。
小学生の女子が優位な種目は長座体前屈のみですが、この性差は高校生になると消えます。逆に小学生の男子が優位な種目はシャトルランとソフトボール投げです。この2種目は、ほかの種目に比べても性差が大きく、学年が上がるにつれてその差が開き、高校生になるとほぼ2倍弱に広がります。
性差があるのは事実なので仕方のないことですが、このことをもって、ボールゲームなどで「男子のゴールは1点で、女子は2点にする」という妙なルールを作ってしまうのはアウトです。「全ての男子は運動ができる」から男女間でハンデをつけようとする配慮は、「全ての女子は運動ができない」という論理と同じで、性差別という人権課題につながるからです。
「全ての男子は、全ての女子よりも運動ができる」ということが真実なら、「女子は2点にする」ルールはハンディキャップを埋める手段として適切です。しかし、運動を苦手としている男子は現実に存在しており、その子は「ボクは、男子だから運動ができなくてはいけないんだ。」というプレッシャーに日常的にさらされることになります。その結果、「男のくせに、シュートもできないのっ!」と心無い言葉で責められ、運動嫌いに陥る可能性もあります。
また、体力・運動能力差をなくす手立てとして男子だけの、あるいは、女子だけのグループやチームを作ってはなりません。小学校の体育学習では、男女一緒に学び合うことが当然の前提で、そこから誰もが運動に親しめる「学びに向かう力・人間性等」や、誰もがが楽しめる規則やルールを工夫していく「思考力・判断力・表現力等」が身に付く学習を組み立てていくからです。