見て学ぶからこそ「見学」と言えるのです
ある学校(私が勤務していた学校ではないです。)の体育館で、見学している児童に折り紙を与えて舞台上で折らせていた授業を見たことがあります。後で聞くと、特別な支援を要する児童でもなかったということでした。びっくりを通り越して、もってのほかです。
折り紙を折っているのはかなり極端な例ですが、クラスの児童が集合して指導者の話を聞いているときに、一人遠くの方でじーっとそれを見ている「見学者」がいるケースは、いろいろなところでよく見られます。「先生や友達の話、聞かないと、かぜが治ったときに困るでしょ?」と思うのですが、「見学だから、『ここにいなさい。』って、先生に言われた。」ということのようです。話も聞こえず、ただただ遠くから見ているだけで、学びになっていません。これが教室だったら、「あなたは、廊下で勉強してなさいっ。」というのと同じで、学習権の侵害です。
体育は、運動することを通して行われる学習であるため、体調が悪い場合、見学することになります。それは、仕方のないことですが、それでも、歩いて登校して来るだけの元気はあるはずなので、よほど具合が悪くない限り、きちんと見学できるようにしなくてはなりません。骨折していても少し風邪気味であっても、技能以外の学習はできるので、「見学者」には、文字どおり「見て学ぶ」ことができるように指導をすることになります。「見学者」も学習者ですから、みんなと一緒に学習しているという実感を持てるようにします。集合するときには一緒に話を聞くようにし、体調が戻って元気になったときの自分の学習に生かすことができるようにします。
運動ができない「見学者」もただ見ているだけでは、その時間の自分のめあてが持ちにくいので、見学者用の学習カードやワークシートを用意して、友達の動きを見て気付いたことなどを学習の記録として書くような学びを用意することもできます。「見学者」は、運動することはできませんが、客観的に友達の動きを見てアドバイスすることならできます。友達のよい動き探しや応援、作戦タイムでの話し合いなどは、「見学者」が学ぶ大チャンスです。こうした「見学者」としての学びは、1年生でもできることです。授業の最後に行う振り返りの時間に、見学者に「見て学んだこと」を発表する機会を設けてもいいでしょう。 そんな「見学者」の学びを共有化することで、「見学の時って運動できないけれど、ああやって勉強するんだな。」と子供自身も分かってきます。
なお、足の骨折などの場合、椅子や台を用意して座れる状況を作ったり、寒い日などは、運動しないことを考えて温かい服装で見学させたりするなど、見学者の負担にならない配慮が必要となります。
「見学者」が排除されているように見える授業でなく、運動することはできないけれど友達と一緒に学べるようにしなくては、「見学者」の学びが成立しません。