どうして「できた」のか分からないから「やってみよう」が生まれる
主体的に運動を学ぶ時には、まず「やってみよう」という気持ちになることから始まります。
「できる」動きをよりよくできるようにすることに挑戦するレベルの子供にとっては、学習課題を見出そうとするための「やってみよう」の前に備わっているであろう心情があります。
そもそも、ここで「できる」とは、偶然にもできてしまった状況も含んでいます。その瞬間「できた、できた!」とそれはもう大はしゃぎになりますが、いざ、もう1回やってみようとチャレンジしても案外「できる」ことはありません。
この初めて「できる」ときは、偶然にコツをつかんでしまったということになるので、再現性が低い段階です。そうなると、子供としては、「あれ? さっきできちゃったのは、何だったんだろう?」と学習課題っぽい思考になってきます。
偶然できてしまった状況までは、「できそうな気がする」という身体の状態感をもって、コツをつかむためにまぐれあたりの頻度を高める状態にあった学びです。しかし、偶然にせよ1回でも「できる」を経験すると、その動きをよりよいものにする学びの段階に入っていきます。
たまたま1回だけ「できる」のでは満足しない子供は、自分の身体でコツが「わかる」まで試行錯誤を繰り返します。少しずつ時々「できる」状況になり、「よし、これならいつでも『できる』」となったとき、そうれはもう偶然ではなくなり、真の「できる」を獲得することになります。
このことは、自分の身体でコツが「わかる」ことでもあり、この「できる」「わかる」喜びが内発的動機となって、主体的に学ぼうとする意欲になっていくのです。