けがの痛みには、教育的価値がある?
手先の巧みさの発達には、幼児期後半から児童期にかけてが重要で、特に就学前の家庭での経験が大事なポイントとなってきます。
最近の子供は、「なぜ、あれほど細かいコントロールができるのか!」と驚くほど、ゲームで指先を素早く器用に動かすことができます。
そのくせ、箸や鉛筆を上手に持つことは得意でない子供も多く見られます。箸がうまく使えない子供でも一口で食べられるようにと、母親が小さなおむすびをいくつもつくり、その一つ一つに楊子をさしてある「針ネズミ弁当」も開発されました。
靴ひもを結んだりほどいたりできない子供のためのマジックテープといったように、便利な発明品が手先の巧みさの正常な発達を阻害しているという一面も否めません。
現在の学校教育は、その多くが視覚や聴覚の情報に基づいて行われています。しかし、人間が学習によって発達する背景には、自分の感覚であるサーボメカニズムに基づいて得られる情報も多々あります。
柔らかさ、硬さ、きめの粗さや細かさといった手ざわりなどの経験は、主としてサーボメカニズムによってもたらされるものであって、総合的な教育という見地から見ると、十分与えられてしかるべきであると考えられます。
危険だという理由で肥後守が学校から迫放されてからすでに長い年月が経ちましたが、様々な遊び道具を自分の手で作り出すことが、肥後守の追放とともに急激に失われていったように思われます。
道具を誤って不注意な使い方をしたことによるけがの痛みには、教育的価値があるのですが…。