人間が「欠陥動物」だと言われるワケ
動物は、ある環境下で生存することを可能にするための能力が本能という形で備わっています。
しかし、動物としての人間は「欠陥動物」であるとして、哲学的人間学者ゲーレン(Arnold Gehlen,1904-1976)は、次のように主張しました。
「毛皮はむろんのこと、天然の雨合羽もなければ、自然にそなわる攻撃器官もなく、逃げるに便利な体の造りすらない。」
「たいがいの動物に較べて人間は感覚の鋭さでひけをとり、真正の本能としてみれば命とりといえるほどの欠陥をもち、乳児および幼児期は比較にならぬほどの長期にわたる保護を要する。」
「言い換えれば、生まれついての自然条件に任せていたら、人間は地表に棲みながら、逃げ足の速い草食獣、猛々しい食肉獣に伍することなく、必定とうの昔に滅びていたはずである」と。(Arnold Gehlen『人間、その本性と世界における地位』より)
生物学的にみてこのような「欠陥動物」である人間が生存できるのは、知覚が環境に対して異常に開放されており、発達した脳によって知覚の組み替えを行なっているからです。すなわち人間は、自分たちが適応できるような環境を創り出すために、常に脳の活動を続けなければならないことが義務付けられた動物ということになります。
このように考えると、運動することにおいて、それまでの自分の身体を変化させたり成長させたりしうる契機をもたらす営みは、自らが適応的な環境として構成し直す作業にほかなりません。運動は、こうして自分の身体を常に外の世界への可能性を開く営みそのものとして位置付くことになります。
運動することが子供を育むことを、このような側面からも理解できます。