うれしいのでばんざ~い 万歳の歴史
巨人で活躍したクロマティ選手は、自ら打点を出した後やほぼ巨人が勝ちそうな最終回の守備につく際、外野観客席の巨人ファンと一緒にバンザイコールをしていました。
運動会でも「この勝負、白組の勝ち!」というアナウンスに続いて白組の子供たちが一斉に「ばんざ~い! ばんざ~い!」の大声に合わせて両手を頭の真上に挙げるポーズをとるシーンが見られます。しかし、現代っ子にとって万歳をすることは古臭く映るのか、勝ち鬨を上げるときには、ガッツポーズとともに「Yeahhhh!」の方が、どうやら馴染むようです。
もともと古代中国で君主を讃える意味に使われた万歳ですが、日本語の読みは「バンザイ」でなく「ヨロズヨ」「マンザイ」などでした。
近代に入って1889年の大日本帝国憲法発布式の際に明治天皇への祝福の意味で読み方を「バンザイ」に決め、天皇が陸軍の行進を観閲するセレモニーで大学生たちが「ばんざ~い!」を歓呼したあたりから、日露戦争以降も、勝利を喜ぶ兵士の身ぶりとしての万歳がつきものとなりました。歓呼の声といっぱいに伸ばされた腕は、勝利の気持ちを表すものでしたが、当初は天皇礼賛の意味もそこにはあったのです。
戦後になって万歳は、それまでの軍国主義的な意味を薄め、様々な場面で使われるようになります。植木等さんが映画の中で踊りながら両手をあげるバンザイポーズが多く見られることなどから、戦後の高度経済成長のムードがいっぱい漂う中、1964年の東京オリンピックの頃には、大衆歓喜のアクションとして定着していたことが分かります。\(^o^)/