授業中、そこで時間を区切るのは「繰り上げスタート」になってしまっている
お正月の風物詩の一つとなった箱根駅伝。大会2日目の復路では、繰り上げスタートが行われることがあります。みなさんの授業には、繰り上げスタートになっている状況、ありませんか?
一日目の往路優勝チームから10分以上ゴールが遅れた場合、二日目は優勝チームがスタートしてから10分後に一斉繰り上げスタートとなります。しかし、この時はまだ、それぞれの母校の襷はつながっています。見た目は複数のチームが競い合っているように見えるため、レースとしては面白い感じになり、駅伝を楽しめる状況となります。問題は、二日目のレース後半になってのことです。
復路後半の中継所では、先頭のチームと後方のチームでは、その差が開く一方となることがあるので、交通規制をかけている時間も長くなってしまいます。そのため、先頭チームが中継所を通過してから20分以上かかってしまったチームは、繰り上げスタートの対象となってしまいます。
仲間のランナーの汗が染み込んだ襷を持っている姿がもう、目の前まで来ているのに、無情にも繰り上げスタートの号砲が鳴り、繰り上げ専用の襷を掛けてスタートしなくてはなりません。母校の襷が途絶える瞬間です。交通規制を解除しなければならないという、レースの勝負とは関係がないところで状況は作られていきます。駅伝は勝負の世界ですから、このような状況になることは、ある意味、仕方がないことでしょう。時間さえ許せば、すべてのチームに襷リレーをさせたやりたいとは、誰もが思うことです。
さて、子供の学びに関して授業中に繰り上げスタートをしている状況はないか、考えてみます。体育科の指導案では、レベルアップタイムやチャレンジタイムなど、学習課題を解決するための学習方法に応じた時間設定がなされることがあります。動きのポイントを探ったり自己の学習課題を解決するための時間であるレベルアップタイムで学びを深めようとしていたのに、それに満足がいかなくても指導者に「ピピーッ」と集合をかけられてしまいます。このホイッスルは”交通規制”のためでしょうか?
そして、そのまま、指導者の都合によって次に予定されているチャレンジタイムになってしまう、子供たちが自分の足で走っていない”学び”が生じます。 「もうちょっと、レベルアップで学びたかったな~。」と思っている子供たちには「ピピーッ」 は、繰り上げスタートと同じ無情のホイッスルのように聞こえているかもしれません。